北海道帰省ちょっと日記 その3 「廃校地・思い出の木との再会」

 

ひぐまです。

 

12歳頃までの思い出は、心の原風景になっているものが多くあります。

今回の帰省で、今から40年以上も前に一緒に遊んだ「楓の木」と再会することができました。

 

網走っ子だった私が、小学校4年の冬に父の転勤で北見市へ引っ越しました。

北見市西相内(にしあいのない)という僻地です。

今は廃校となっていますが、当時、北見市立西相内小学校は全校児童26名。

複式学級で教員が校長となった父を入れて4名の小さな小さな学校でした。

いつもは帰省しても通り過ぎるだけだったのですが、今回思い切って敷地に入ってみました。

校舎はもちろんありませんが、楓の木は紅葉した姿で、少年時代同様ひっそりと佇んでいました。

↓ クリックして、私のノスタルジーにちょいとお付き合い下さい m(_ _)m

人間より、あきらかに長生きのカエデの樹木。

「代々に亘る多くの子ども達や先生方、そして地域の方々の様子を静かに眺めて来たんだろうな。」

と思うと感慨深いですし、

「待っててくれてありがとう。これからもお互い長生きしようね。」と、

ちょいとセンチになった一日となりました。

 

皆さんにとっての「思い出の木」は、どんな木ですか?

 

◯リンク◯

 

「学舎の風景」

管理人:piroさん。

「各市町村史・5万分1旧版地形図 国土交通省ウェブマッピングシステム空中写真を使用し、 
学校がその地域に有った時代を思いながら 北海道の廃校となった学校達の現在を確認した調査の報告」をまとめたサイトです。


 

コメントをお書きください

コメント: 2
  • #1

    easari (日曜日, 11 11月 2012 09:41)

    先日は24〜5年ぶりに逢うことが出来てとても懐かしかった。この間までの青年がお互い定年間近のおじさんになるのは何かタイムスリップにあったような感がするけれど、これも現実なんだね。人生ってうたかたなようなもので人間の命もアリのいのちも太陽系的マクロ視野でみると何ら変わらないなとも思うことがある。ぼくは森の中にある谷に暮らしているのでいつも木を見、木を焼べ、木の命を身近に感じて生きている。庭には果樹の木を植え、秋にはその一部をいただく。ぼくが消えたあとにもぼくが植えた樹々が森を豊かにしてくれることを想像すると何となくうれしくなる。
     西相内小学校の楓の木がまだ生きていてよかったですね。彼らの年輪の一部に君が楓と戯れた記憶がレコードのように記憶されているかもしれないという想像をかき立てられます。ぼくの趣味の一部に自転車での廃校巡りがありますが、もう誰もい校庭は放課後のあの懐かしい風景を彷彿させてくれます。

  • #2

    joint-honeybee (日曜日, 11 11月 2012 21:41)

    コメントありがとう。そして、帰省の際、会えて本当に嬉しかったです。
    「ちょっと」会わないでいると、いつしか「ずっと」会っていなかったということになっているので、びっくりします。
    ふるさとを離れて都会で暮らしていると、自分が今の場所で生かされている理由みたいなものを探したりします。少年時代当たり前にあった自然や環境によって自分が生かされているという感覚が、北海道に帰ると蘇る感じがします。
    お互いこれから健康で互いの役割を果たしていきましょう。
    理学研究や自然環境保護等での活躍を期待していますよ。
    私の方は、英語教育の方でもうちょいがんばりを続けます。


ローカル&グローバル

教育情報番組

Joint広場Honeybee

番組を視聴する

朗読と音の融合

花本弘子の

「コトバの玉手箱」

朗読作品を視聴する

ひぐま先生

工作教室

針金ハンガーアート

無電源スピーカー

作品を見る

@joint_honeybee
@joint_honeybee

更新情報